No.6 かーでざいん[2005/01]

私は幼少の頃より自動車が好きで、友達がウルトラマンや仮面ライダーのグッズを集めているときに新車のカタログをディーラーに取りに行ったりするような子供で、物心がつく頃には街中で見かける車すべて名前を当てて遊んでおりました。そんな私なので、車の好き嫌いには割とこだわりがあります。多分私がひき逃げされても、逃げる犯人の車をメーカーや車名はもちろん、製造年やグレードまで一瞬で記憶する自信があります。(それよりもナンバー覚えろって)

私は自動車は9割を「デザイン」で選ぶものであると考えます。デザインとは、大きく分けて外見上で識別できる「形のデザイン」と、いわゆる存在意義としての「ポリシーのデザイン」があると思う。前者は純粋にカッコ良い、カッコ悪いとして個人がそれぞれの好みで選べるが、後者についてはその車の存在意義を考える必要がある。「存在意義がしっかりしている車は必然的にカッコ良くなる」というのが私の自論でもある。逆にどんなに形のデザインが優れているように見えてもポリシーのデザイン力が希薄な車は、すぐに飽きられる。デビューした初代が人気を博したのに、初代2代目以降になるとサッパリ売れなくなる場合が多いのは、存在意義があやふやになっているからだ。

では形のデザインについてはどうだろうか。キーワードは「一体感」と「塊感」である。


一体感が優れたデザインとは、パーツ(部品・部分)が1つ1つ主張するのではなくて、むしろ全体を見回した時に違和感無く溶け込んで調和が取れている状態を言う。ただし、無個性のパーツには魅力が無いので、ちゃんと個性を主張しつつ全体のバランスを壊していない、というものが理想。さらにフロント部分がそのままボンネット、天井、サイド、そしてリアまでまるで申し合わせたかのように連続していること。パーツの各々が役割を果たし、そこに存在することが必然であるようなデザインであること。一体感に欠ける車は、どこかで必ずデザインが連続せずに破綻しています。

塊感が優れたデザインとは、ボリューム感と躍動感に優れたデザインのことです。ボディの鉄板を1枚剥がすと中から鍛えられた筋肉が出てくるような、なボディの中身まで想像させるようなアスリート系筋肉の質感を持つ仕上がりを、私は塊感に優れたデザインとして認識しています。例えるなら、細めの筋肉質な人がスーツをバリッと着こなしているような感じ。無機質な自動車に色気さえ感じます。
大きい車であればそれだけでボリューム感はあるだろう。しかし世の中には実際は小さくて軽いのにバランスの取れた優れた塊感を表現している車もあります。また、曲線を多用してボリューム感をかもし出すのは簡単ですが、やりすぎちゃうと筋肉は筋肉でもマッチョなムキムキ感がしてちっともスマートさを感じなくなってしまいます(ボリューム感が変な方向で目立ってしまう)。その辺の味付け加減に、デザイナーの力量が見えます。

以上をふまえると、私が思う優れた形のデザインは、「個性的」で「メリハリの効いている」「スマート」なものであるようだ。これってそのまま女性の好みに通じるのかな・・・?(笑)


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